入間基地の行事において、F-86Fと一緒に展示を行った機体がT-2超音速高等練習機です。
この時は、ブルーインパルス仕様の機体が完成していなかったため、通常の学生訓練で使われるT-2前期型(オレンジとグレーの塗装)が使用されました。
今回はT-2ブルーインパルスについて、まとめてみました。
2代目はT-2超音速高等練習機、松島基地をマザーベースに

デルタロール・撮影 黒澤英介氏
F-86Fの退役を前に、ブルーインパルスの後継機に関する研究が行われました。
この頃、戦闘機操縦者の育成訓練についてはF-86Fの後、既に国産初の超音速練習機である「T-2超音速高等練習機」で実施されておりました。
T-2は、当時の「戦闘操縦基礎課程」で主に使用されていた前期型と「戦闘操縦課程」で使用されていた後期型がありました。
両者共に航空機としての性能は同じものでありましたが、後期型にはレーダー(火器管制装置)と20mm機関砲が装備され翼端には赤外線追尾の空対空ミサイルを搭載する事が可能でした。また、胴体下には空対地攻撃用の爆弾を搭載する事が可能でした。ブルーインパルスの使用機は翼端に常にミサイルランチャーを装着した状態で展示飛行を行っておりました。
T-2はこの他に、初期モデルとしてロールダンパー(横方向静安定装置)の無い機体、F-1支援戦闘機を開発する為のFS-T2改、更には将来戦闘機の基礎研究を行うために改造されたT-2CCVがありました。
塗装も一般的な前期型はオレンジ色、後期型はグレー、F-1部隊の使用機は迷彩色、そしてブルーインパルス塗装と、様々な塗装が存在しておりました。
T-2の飛行特性

ビッグハート・撮影 黒澤英介氏
しかし、開発当時の技術レベルではT-2を超音速飛行が可能にするため、様々な工夫がなされて国産航空機としては初めて音速を超える飛行が可能となりました。
またスマートな縦長の機体であり、安定性に優れており、基地と基地の移動間は安定した飛行状態を保つ事が出来てパイロットに対する負担も少なくなっておりました。
デメリットとしては抵抗を減らし小さくした主翼により翼面荷重が大きくなり、展示飛行に必要な機動性が欠けてしまうという点でした。
もう一つは機動を行うと「誘導抵抗が大きいために速度(エネルギー)が減少してしまう」という事でした。ループ(宙返り)を行うと、500kt(時速約930km)で開始しても終わる時には400kt(時速約750km)程になってしまいました。
しかし、高速飛行と大きな機動を中心とした課目構成で4機編隊と2機の単独機の連携により「安全で見栄えのする課目構成」を実施出来る事が確認され、正式にT-2ブルーインパルスの発足が決定されました。
ブルーインパルスは抑止力

T-2ブルー・撮影 黒澤英介氏
「国産の航空機を使用」して「アクロバット飛行チーム」を持つという事は、単に「展示飛行の出来るチームを持っている」という事ではなく、日本が「展示飛行を実施可能な航空機を生産できる技術とそれを操縦できるパイロットの優れた技能」を保持している事の証しであり、その精強な存在が対象国に対して一つの「抑止力」となるものであります。
T-2への改編と同時にブルーインパルスは所属基地を宮城県松島基地に移し、「第21飛行隊戦技研究班」として、そのパイロットは学生教育と併せて展示飛行を実施することになりました。
T-2ブルーの機体塗装は公募によるもので、東京の女子高校生4名のデザインを基に制作され、濃淡の青色を基調に白色のストライプは入ったものでした。
初めて松島基地に降りてきた姿を見た時、まるで「プラモデルの飛行機が来た」というような印象でありました。
T-2は離陸する時に通常アフターバーナーという推力増加機能を使います。このため通常はスモークとして出る煙が完全燃焼して「オレンジ色の炎」となり一つの展示効果として加わりました。
平成6年、米空軍のサンダーバーズが来日した時は三沢基地で共演しました。
サンダーバーズの使用するF-16戦闘機の機動性には劣るものの、正確な編隊飛行と緻密な演技は高く評価されました。
T-2では14年間で175回の展示飛行を行い、偶然にも編隊長の使用していた1番機の機体は175号機でありました。現在、175号機は航空自衛隊百里基地に入ってすぐ左にある「雄飛園」に展示されています。
まとめ
・2代目ブルーインパルスの使用機は国産初のT-2超音速高等練習機
・T-2への交代時期に併せて、戦技研究班は松島基地の第4航空団に移動した
・ブルーインパルスは抑止力としての役割りも担っている