未曾有の災害となった2011年3月の大震災。そのときには多くの人がボランティアスタッフとして東北に赴きました。
このような無償の善意による手助けは、たとえば阪神・淡路大震災でもよく取り上げられたものであり、非常に尊いものです。
しかしその「善意」が、逆に被災地の迷惑になっていることもあります。
「気持ちだけでも」が逆に迷惑になることも
ボランティアに行こう、人を助けたいという気持ち自体は、非常に尊いものです。
人の痛みを自分のように感じ、心を痛め、何かできることはないかと考えて被災地に赴く人もいるでしょう。
しかし、場合によってはそれが迷惑になることもあります。
たとえば、各メディアが取り上げていたもののなかで、「善意の押しつけ」があります。被災地に対して送る千羽鶴や励ましの寄せ書きなどは、大きく取り上げられました。もちろんこれによって励まされる人もいるかもしれませんが、狭い居住空間のなかで、かなりの場所を占めてしまうこれらは迷惑に感じる人もいるでしょう。
また、「被災された人の話を聞いて、心を癒してあげたい」という気持ちもまた、「善意の押しつけ」と感じられることもあります。話したくないこと、話せるだけの整理がついていないなかで、「あなたの心を癒します!」と詰め寄られるのは、それほど気持ちのよいものではありません。
自分の力で何ができるかを冷静に見極めることが大切
たとえば、長年ボランティアに関わっており相応の実績を挙げている人や、医療関係の資格を有している人などは、被災地でどのように振舞えばよいのかを心得ています。また、当然のことながら、「提供できる実力(知識でも技術でも)」があるため、役に立てることでしょう。
しかしそうではない人が行ってしまった場合、ただでさえ少ない食料を消費することになりかねませんし、逆に邪魔になってしまいかねません。
ボランティアというのは、「自分が満足するため」にあるのではなく、「相手を助けるため」に行うものです。現地に行って邪魔になってしまうようなことがあれば、本末転倒です。
この「助けたい」という気持ちは、募金というかたちで表す事も一つの手段です。被災地に赴こうとする交通費を募金箱に入れることもまた、立派なボランティアです。もちろん、確実に被災地に届く支援機関を選びましょう。
まとめ
・「助けたい」という善意が逆に邪魔になることがある
・特段の知識や技術がない人が、軽率に現地に赴くのは避けるべき
・募金というかたちで心を表すことができる
・募金先は、支援機関をきちんと選ぼう
参考サイト
◆ライブドアニュース「被災者に逆ギレも…厄介なモンスターボランティアの実態」