今回はシビリアン・コントロールなどの問題を背景としつつ、定年延長や女性自衛官に関して触れられた5回目の「防衛白書」をご紹介いたします。
第5回「防衛白書」の特徴
シビリアン・コントロール問題
第5回目の「防衛白書」は、前年に引続き昭和54年(1979年)に発刊されました。
前年7月に当時の栗栖弘臣(くりす・ひろおみ)統合幕僚会議議長(陸将、最高位の自衛官)が週刊誌上で「超法規的行動発言」により解任された問題が記述されています。
発言の主旨は
自衛隊は、自衛隊法上、内閣総理大臣の防衛出動命令が下令されていない限り、武力行使はできない。
しかし、奇襲攻撃を受けた場合に、防衛出動命令がでるまでに若干時間がかかるとすればこの命令が下令されるまでの間、奇襲攻撃の事態に直面する現地部隊はどう対処すればよいのか。
その場合は現場判断で「超法規的行動」もやむを得ないのではないか。
というもので、実際に起こりうる有事における法制上の問題を指摘したものであったため、以後に現実的で地道な研究が進められるようになりました。
栗栖統合幕僚会議議長の解任の理由は『シビリアン・コントロール(文民統制)に反するから』とされています。
シビリアン・コントロール(civilian control of the military)とは、文民=一般市民が選出した政治家が軍隊を統制するという、軍事に対して政治が優先することです。
この発言の10年以上前に防衛庁が独自に行った「三矢研究(みつやけんきゅう)」が非公式かつ非公開で実施されていたことが判明した時にも「シビリアン・コントロールの不在」として国会で大きな問題になりました。
三矢研究とは自衛隊統合幕僚会議によって極秘で独自に行われていたシュミレーションで、昭和38年総合防衛図上演習で近傍で武力紛争が発生した時の自衛隊の運用要領と有事の処置・対応等が想定として研究されていました。
「三矢」とは昭和38年の語呂と陸海空3自衛隊の統合を「三本の矢」の故事に習い命名されたと言われています。
これらの問題に関連して、有事における法制上の問題についての研究は、シビリアン・コントロールの原則に従って、昭和52年8月内閣総理大臣の了承の下に防衛庁長官の指示によって開始されています。
しかしながら具体的に有事法制の一部が成立するためには、2003年に「武力攻撃事態対処法」が施行されるまで、栗栖統合幕僚会議議長の発言から25年以上の年月を必要としました。
主要装備品の整備関連では、早期警戒機(E-2C)の導入が決定されました。
昭和51年9月に発生したミグ25事件によって低空侵入機に対処する能力に欠陥があることが判明した後、具体的な早期警戒機が検討され機種を決定されたものです。
定年の延長と女性自衛官
人事関連では、自衛官の定年年齢の延長と女性自衛官(当時は婦人自衛官と呼ばれていた)の記述があります。
自衛隊では、その任務の特殊性から若年定年制を採用しており、ライフサイクル上経済的負担が多い時期に退職を余儀なくされることが問題となっていました。
平均寿命の伸びや隊員の士気の高揚を図るため、定年年齢を引き上げることとされました。
代表的な自衛官の定年延長について、昭和53年度は幹部自衛官の2佐から准尉及び1曹までの定年が50歳までのところ、順次53歳まで延長されることが決まっています。
(※現在は定年が55歳前後)
女性自衛官は、昭和33年に陸自の看護学生に採用が開始され、海空自の看護学生採用に拡大されました。
通信、会計、補給等の一般職域に採用が開かれたのは、昭和42年の陸自採用に続き、昭和49年には海空自への採用も始まりました。
昭和54年の時点で、女性看護師を除き、陸自約1,550人、海自約300人、空自約250人の女性自衛官が勤務しています。
(※現在は自衛官全体の5.9%、約14,500人が女性)
まとめ
- 栗栖統合幕僚会議議長発言と三矢研究から、シビリアン・コントロールの所在が問題となった。
- 定年の延長と女性自衛官に関して注目された。
参考サイト
◆防衛省ホームページ
◆防衛白書とは?(1)防衛白書の歴史
◆防衛白書とは?(2)作成の方針
◆防衛白書とは?(3)防衛白書と防衛大綱
◆防衛白書とは?(4)防衛力強化の取り組み