前回はシビリアン・コントロールの問題や女性自衛官に関して触れられた昭和54年の防衛白書に関して説明しました。
今回は、前年に引続き昭和55年(1980年)に発刊され予備自衛官に触れられた第6回目の「防衛白書」を紹介致します。
昭和55年当時の世界情勢
前年にソ連がアフガニスタン侵攻
昭和54年(1979年)12月から行われたソビエト連邦(以下、ソ連)によるアフガニスタン侵攻の影響により、ソ連の軍事力増大に対する懸念が多く記述されています。
ベトナム反戦時代の風潮及び米ソ対立を緩和する期間であった米ソデタント(緊張緩和※)の影響により、米国が軍事力を増強させていない時期にソ連が大幅に軍事力を増強し、アフガニスタンに直接軍事介入しました。
米国をはじめとする西側諸国が、中東・アフリカ地域へのソ連の影響力の増大に対して懸念を深めていた状況の中でのアフガニスタン侵攻は、東西の緊張を高めるとともに、中東情勢を更に流動的かつ不安定にすることになりました。
ソ連のアフガニスタン侵攻により、昭和55年(1980年)開催のモスクワオリンピックには米国及び日本等西側諸国がボイコットする事態になりました。
最終的にアフガニスタン侵攻は失敗し、その影響は後のソ連崩壊につながります。
アフガニスタン国内の無秩序状態が深刻化し、アフガニスタン国内の諸紛争は平成28年(2016年)現在も継続しています。
※米ソデタント(緊張緩和)とは…米ソが核戦争寸前にまで至ったキューバ危機(1962年)で頂点に達した、冷戦と呼ばれる米ソ対立の行き過ぎを政治的な対話により緩和するようにした期間(概ね1960年代後半から1970年代後半まで)を米ソデタント(Détente)と呼ばれている。
曹長と予備自衛官
新階級の誕生と予備自衛官について
人事関連では、新階級「曹長」の新設と、予備自衛官制度の記述があります。
自衛隊の「曹」の階級が1・2・3曹の3階級のところ、新たに准尉と1曹の間に「曹長」を設けることとしています。
これは、装備の近代化等によって、より高度の技能及び慣熟した経験を、同一職務グループの指導に活かす必要から生まれた新しい職位です。
また曹の階級が3階級で、曹に昇任から停年までの約30年間で3段階しかないことに対する曹の自衛官の勤務意欲の向上にも配慮したものでした。
更に平時において常備兵力の削減をはかり、有事に必要となる兵力の増強に対処するため予備自衛官制度の記述を採用しています。
予備自衛官の制度自体は昭和29年(1954年)の自衛隊発足と同時に陸上自衛隊に導入され、昭和45年(1970年)に海上自衛隊にも導入されていました。
(航空自衛隊には、昭和61年(1986年)に導入)
昭和55年の衛白書で触れられている予備自衛官は、陸上自衛隊に41,600人、海上自衛隊に600人が採用されています。
予備自衛官は、志願により任用期間を3年として採用された元自衛官で、昭和55年当時は予備自衛官手当(月額3,000円)及び訓練招集手当(日額4,000円)等が支給されています。
(平成28年現在は、予備自衛官手当月額4,000円及び訓練招集手当日額8,100円に増額)
予備自衛官制度は、現在も続けられ自衛隊の戦力維持に貢献しています。
過去の防衛白書から予備自衛官がどれだけ必要とされていたのを、人数などのデータから読み取る事のも勉強になります。
まとめ
◆昭和55年に出た第6回の防衛白書では、前年にソ連がアフガニスタンを侵攻したことが大きく取り上げられた
◆新しい階級「曹長」が誕生したのは、自衛官の勤務意欲向上のため
◆元々あった予備自衛官制度について、人数などが初めて詳細が記述された
参考サイト
◆防衛省・自衛隊
◆防衛白書とは?(1)防衛白書の歴史
◆防衛白書とは?(2)作成の方針
◆防衛白書とは?(3)防衛白書と防衛大綱
◆防衛白書とは?(4)防衛力強化の取り組み
◆防衛白書とは?(5)シビリアン・コントロール