前回は、次期支援戦闘機(FS-X)について説明いたしました。
今回は、平成元年(昭和64年)に発刊された第15刊目の防衛白書について紹介します。
昭和天皇崩御と自衛隊
昭和64年1月7日、昭和天皇崩御に伴い年号が「平成」に変わりました。昭和天皇の葬儀にあたる「大喪(たいそう)の礼(れい)」が、2月24日に新宿御苑において、皇族をはじめ世界164か国から
の元首・弔問使節、国際機関の代表、各界の代表等約1万人が参列して厳粛に行われました。
国の儀式として行われる「大喪の礼」において、防衛庁自衛隊は、「儀仗(ぎじょう)」、「弔砲(ちょうほう)」、「と列(とれつ)」及び「奏楽(そうがく)」を整斉と実施しました。
一般的に儀仗は、受礼者が栄誉礼を行う場所への発着又はその途上において敬意を表すること目的として行われますが、警衛する意味もあり「大喪の礼」においても棺に対して実施されました。皇居正門等で、陸海空の隊員約290名が「着剣捧げ銃」の敬礼を行いました。
外国からの賓客に対し敬意と敵意がないことを示すため、国際儀礼として空砲を発射する礼砲が行われており、国家元首に対しては21発実施されます。「大喪の礼」においては、棺の皇居正門通過時等に、陸上自衛隊が21発の弔砲を行いました。
と列は、皇族等の訪問途上の送迎のため実施されますが、「大喪の礼」においては、特別に棺に対して実施されました。新宿御苑正門前沿道に陸海空自衛官、防大・防医大学生等約800人が整列し、挙手の敬礼をして迎えました。
自衛隊音楽隊は、雨の中沿道に集まった20万人の前を葬列が進む間 葬送曲として「哀の極」(あいのきわみ、かなしみのきわみ)を演奏しました。
その他の協力などに関して
防衛庁として、「大喪の礼」当日以外にも、諸外国元首、弔問使節等の輸送について全面的に協力し、延べ150か国、697名をヘリコプター等により輸送しました。
天皇陛下崩御前年から派手な行事やイベントが自粛され、「大喪の礼」当日は公休日となり弔旗や半旗が掲揚されました。前年7月23日に発生した潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」との衝突事故により30名の尊い人命が失われ、自衛隊は社会から厳しい批判を受けていましたが、「大喪の礼」等の行事を黙々と遂行しましした。
用語に関して
・着剣捧げ銃の敬礼:隊として天皇陛下、儀式の国旗等に対し実施する最高度の敬礼、銃剣を付けた小銃を身体の正面に捧げ持つ
・弔旗:弔意示すために掲揚される旗(旗竿の先の球を黒い布で覆い、幅10㎝で国旗の長辺と等しい長さの黒布を竿頭に付け、国旗とともに掲揚)通常弔意を示す場合には、旗を最上部から1/3降ろす半旗が実施される
まとめ
・昭和64年1月7日に崩御された昭和天皇の葬儀である大喪の礼にて儀礼を行った
・参加した国賓の送迎などにも尽力し、粛々と関連行事を遂行した
参考サイト
◆防衛省・自衛隊ホームページ
◆防衛白書とは?(1)防衛白書の歴史
◆防衛白書とは?(2)作成の方針
◆防衛白書とは?(3)防衛白書と防衛大綱
◆防衛白書とは?(4)防衛力強化の取り組み
◆防衛白書とは?(5)シビリアン・コントロール
◆防衛白書とは?(6)新階級「曹長」と予備自衛官
◆防衛白書とは?(7)日米協力と機密情報保護
◆防衛白書とは?(8)防衛予算の金額と防衛記念章の規定
◆防衛白書とは?(9)冷戦の縮小とフォークランド紛争の教訓
◆防衛白書とは?(10)部外協力活動の取り組みと米国との相互技術交流
◆防衛白書とは?(11)中央指揮システムの設置と女性自衛官活躍の拡大
◆防衛白書とは?(12)部外協力活動の取り組みと米国との相互技術交流
◆防衛白書とは?(13)在日米軍の施設と関連費用とは
◆防衛白書とは?(14)次期支援戦闘機(FS-X)の選定