国の防衛について国民の理解を広めるため「防衛白書」が毎年発刊されていますが、第1回の「防衛白書」が昭和45年に発刊されてから第2回目の発刊は昭和51年となり、6年間の空白期間があります。
この間には作成に関する細かな方針の転換がありました。
その内情を紹介します。
新しい防衛白書を作る理由
毎年作らなければならないと判断した
第1回目の「防衛白書」発刊後、日本国の防衛理念の理解が増大して国会でも一般の国民の間でも防衛問題に関する議論が活発になることが期待されていました。
しかし内容が硬かったこともあり、あまりその思惑通りには議論が深まることはありませんでした。
その状況を打破すべく、当時の坂田道太防衛庁長官(衆議院議長、法務大臣、文部大臣等歴任)が第2回目の「防衛白書」を発行し、以後毎年発行の足掛かりを作りました。
坂田長官は、
「近年内外における諸情勢は、著しい変貌を遂げつつあり、防衛問題に対する国民の関心も次第に深まりを見せております。この際、今日の国際環境のもとでのわが国の防衛に関する基本的な考え方と自衛隊の現状等を改めて明らかにし、広く国民はもとより、諸外国にもわが国の防衛政策について正しい認識をしてもらう必要があり、あわせて自衛隊に対する国民の一層の理解と協力を得るために、昭和45年以来6年ぶりに政府刊行物として「日本の防衛」(防衛白書)を作成いたしました。」
(第077国会 内閣委員会 昭和51年7月15日説明)
と作成理由を述べています。
第2回目の防衛白書の歴史的背景
多様化しつつ変化する国際情勢に対応
第2回目の「防衛白書」では、発刊の13年前に決まっていた「国防の基本方針」(昭和32年 閣議決定)から導かれる具体的な防衛政策として、自衛のための最小限の防衛力の整備と自衛に徹する専守防衛の防衛力整備の新たな方針を「基盤的防衛力」構想として説明しています。
基盤的防衛力整備の主眼は、
- 模の増大よりも質の向上
- 戦闘部隊と後方支援部門とのバランス
- 部隊の質向上のため処遇の改善
- 教育訓練体制の整備
等です。
発刊された昭和51年は、昭和48年から始まったオイルショック(石油危機)や昭和50年に長く続いたベトナム戦争が終結した背景から国際情勢は複雑多様化し、その影響も多岐にわたる時代にありました。
この時代に「防衛白書」再開と基盤的防衛力整備の構想がなされたことは、日本にとって大きな意味のあることでした。
実際に第2回目の「防衛白書」以降は国際情勢がさらに多様化し、国内外の政治・社会も大きく変動しました。
「防衛白書」もその変化につれて大きく変貌・進化していきます。
ただ基本となる方針は現在も変わっておらず、昭和32年の「国防の基本方針」を基軸としています。
「国防の基本方針」(昭和32年5月30日 閣議決定)
国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。
1.国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。
2.民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。
3.国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。
4.外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果し得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する
この基本方針に加えて、国内外の情勢に対応した説明を行うのが「防衛白書」なのです。
次回は「防衛白書」の変遷を概観しつつ、わが国の防衛政策について分かりやすく解説したいと思います。
まとめ
- 国民に理解してもらうためと、国内外の状況変化を受けて、毎年「防衛白書」を作ることになった。
- 「防衛白書」は時代に応じて変貌・進化を遂げているが、国防に関する基本方針は昔も今も変わらない。
参考サイト