前回に引き続き「防衛白書」に関する歴史を紹介していきます。
今回は、今では白書とセットになって取り上げられる「防衛大綱」を紹介します。
防衛大綱の登場
第3回目の「防衛白書」は、前年に引続き昭和52年に発刊されました。
この時、初めて「防衛計画の大綱」(昭和51年10月29日閣議決定)の項が記述されました。
前回ご紹介した「国防の基本方針」(昭和32年5月閣議決定)を受けて、昭和33年以降3年または5年間を対象とする防衛力整備計画を4次にわたって策定し、防衛力の整備が行われてきました。
最後の第4次防衛力整備計画が昭和51年度に終了することに伴って、新たな防衛力を整備、維持及び運用するための指針として作成されたのが、「昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱」(昭和51年10月閣議決定)です。
「防衛計画の大綱」はおおむね10年おきに作成されるため、この大綱は通称「51大綱」と呼ばれています。
防衛大綱とは?
「防衛計画の大綱」とは国の防衛力がどれほど必要なのかを定めた指針であり、これに則って基盤的防衛力構想が策定されます。
わが国が平時から保有すべき防衛力の水準は次の考え方に基づいて策定されています。
具体的には、
- 防衛の組織及び配備において均衡のとれた態勢を保有
- 平時において十分な警戒態勢をとり得る
- 限定的かつ小規模な侵略までの事態に有効に対処し得る
- 情勢の変化に円滑に対応し得るよう配慮された基盤的なものであること
これらに基づいて、具体的な陸上、海上及び航空自衛隊の編成・装備等が定められています。
「51大綱」における各自衛隊の編成及び装備等は、
- 陸上自衛官18万人・12個師団・戦車約1,200両
- 海上自衛隊4個護衛隊群約60隻・潜水艦16隻・作戦用航空機約220機
- 航空自衛隊28個航空警戒群・6個高射群・作戦航空機約430機
等です。
どうして大綱を定める必要があるかというと、各種装備品の取得や隊員の養成などは単年度ではできず、長い年月を要します。
このため、長期的な目標(防衛計画の大綱)の下、中期的計画(中期防衛力整備計画:主要装備の整備数量と5年間の経費の総額を明示)に基づいて年度ごとに予算を要求し必要な装備の調達等が決定されます。
この年の防衛白書の特徴
第3回目の「防衛白書」の特徴として、昭和51年9月6日に発生した、ソ連の最新鋭ジェット戦闘機であるミグ25が突如として日本の領空を侵犯し函館空港に緊急着陸した、ミグ25事件が、章立てにより解説されています。
ミグ25事件の教訓として、早期警戒監視機能の欠落等が明らかになり、有事における指揮機能の強化等についても見直しが始められました。
明日は、この「ミグ25事件」に関して詳しく解説させていただきます。
まとめ
- 防衛大綱は昭和51年に誕生した。
- 防衛大綱は国の守りにどれだけの戦力が必要かまとめた指針。
- 昭和52年の防衛白書には前年に起きた「ミグ25事件」が教訓として取り上げられた。