前回は新しく設立した階級「曹長」や予備自衛官に関して触れられた昭和55年の防衛白書に関して説明しました。
今回は引き続き昭和56年(1981年)に発刊された第7回目の防衛白書に関して紹介いたします。
防衛白書作成の背景
日米ガイドラインの影響とは
日本の防衛は、自らが適切な規模の防衛力を保有し、米国との安全保障体制の信頼性の維持及び円滑な運用態勢の整備を図ることにより、いかなる態様の侵略にも対応し得る防衛体制を構成し、これによって侵略を未然に防止することを基本としています。
その為日米安全保障体制は、このような防衛の構想をとるわが国にとって必須のものです。
昭和35年(1960年)に締結された「日米安全保障条約」(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)は、両国が国際連合憲章に基づき極東における国際の平和及び安全の維持のため、相互協力及び安全保障を行う協定です。
日米安全保障条約に基づき、日本に対する武力攻撃に際して、日米間の防衛協力の在り方及び日米間で行われるべき研究作業のガイドラインとして昭和53年(1978年)に「日米防衛協力のための指針」が策定されました。(単に「ガイドライン」と呼ばれることがあります。)
この指針は、日本が他国からの攻撃を受けた際の自衛隊と米軍の協力に重点をおいてまとめられたものです。(国際情勢が大きく変化し周辺事態への協力が拡大することにより、「日米防衛協力のための指針」は、その後平成9年及び平成27年に見直されています。)
日本に対する武力攻撃がなされた場合の対処行動としては、限定的かつ小規模な侵略を独力で排除します。
侵略の規模・態様等により独力で排除することが困難な場合には、米国の協力を待ってこれを排除します。
自衛隊は主として日本の領域及びその周辺海域において防勢作戦を行い、米軍は自衛隊の行う作戦を支援し、かつ自衛隊の能力の及ばない機能を補完するための作戦を実施します。
防衛庁では、この指針に基づき日米の共同作戦計画の策定に取りかかり、日米共同訓練や日米装備・技術協議が積極的に実施されるようになりました。
海上における共同作戦能力の向上のため「リムパック(Rimpac)」(環太平洋合同演習)に非英語圏の艦艇として初参加したのは、この防衛白書が発刊される直前となる昭和55年(1980年)です。
機密情報保護の記載
前年に逮捕者を出す
昭和55年1月、元陸上自衛隊調査学校副校長の陸将補が防衛機密情報をソ連に漏えいしたことにより逮捕されています。
自衛隊法の守秘義務違反(第59条)により懲役1年の実刑判決をうけ、防衛庁も懲戒免職されました。
当時はスパイ活動等を行った罪で罰せられることは無く軽い罪でした。
自衛隊の保有する秘匿性の高い秘密を「防衛秘密」(第96条の2)として、それらを漏えいした者を重い刑罰(5年以下の懲役)で処罰することとし、漏えい行為を厳格に防止することを内容に自衛隊法を改正したのは、2002年になってからです。
その後も秘密漏えいの事案が発生したことにより2013年に「特定秘密の保護に関する法律」が制定され、「特定秘密」を漏えいした者をより重い刑罰とするとともにスパイ行為も罰則の対象となっています。
まとめ
◆昭和53年に「日米防衛協力のための指針」は策定され、共同訓練などが積極的に実施されるようになった
◆第7回の防衛白書には前年の陸将補の逮捕を受けて「機密情報保護」について記載された
参考サイト
◆防衛省・自衛隊
◆防衛白書とは?(1)防衛白書の歴史
◆防衛白書とは?(2)作成の方針
◆防衛白書とは?(3)防衛白書と防衛大綱
◆防衛白書とは?(4)防衛力強化の取り組み
◆防衛白書とは?(5)シビリアン・コントロール
◆防衛白書とは?(6)新階級「曹長」と予備自衛官