前回は防衛予算の金額に関する流れや防衛記念章の規定に関して説明しました。
(防衛白書とは?(8)防衛予算の金額と防衛記念章の規定)
今回は昭和58年に発刊された第9回目の防衛白書に関して紹介いたします。
冷戦の縮小・デタント
核軍縮の影響
1970年代のデタント(米ソ緊張緩和)時代に始まった戦略兵器制限交渉(SALT)が、1982年(昭和57年)になり戦略兵器の数を実質的に削減する戦略兵器削減交渉(START)として発展して開始されました。
SALT
(Strategic Arms Limitation Talks)
戦略兵器制限交渉
START
(Strategic Arms Reduction Talks)
戦略兵器削減交渉
戦略兵器は、弾道核ミサイルおよび発射基(航空機やミサイル原潜など)が対象となりました。
これにより、増加の一歩をたどっていた東西の核軍拡に歯止めが掛かり、日本に対する核兵器の脅威も以前より削減される形になりました。
フォークランド紛争
西側国家同士の戦いが残した教訓の反映
戦略兵器の削減等が交渉されているさなか、昭和57年4月にフォークランド紛争が起こりました。
南米アルゼンチンの東にあるフォークランド諸島の領有権を守るために、英国が軍隊を派遣しフォークランド紛争は始まりました。
同年6月に英国陸上部隊が上陸しアルゼンチンが降伏したことにより約3カ月で終結しましたが、両国合わせて約1,000人の死者と約2,000人の負傷者という大きな犠牲を伴う紛争でした。
東西冷戦からデタントが進む中で起こったフォークランド紛争は、西側陣営同士の西側の武器を使用した紛争であり、第2次世界大戦後最大の海上戦闘となりました。
アルゼンチンの空対艦ミサイル「エクゾセ」が英駆逐艦を撃沈したことがフランス製兵器の質の高さを証明し、以後海上戦闘におけるミサイルの有効性が認識されるようになります。
フォークランド諸島は英国本土から約13,000キロメートル、アルゼンチンの最も近い空軍基地から約700キロメートルの距離にあり、約200もの小さな島により構成されており、後方支援を含めた軍および装備の編成が勝敗の鍵を握ることになりました。
英国は40隻以上の民間船を徴用し、軍用通信施設・洋上給油設備およびヘリコプター発着装備等を整備し、遠く離れた海域での戦闘に備えました。
徴用船の中には当時世界最大の客船「クイーンエリザベス2世」号も含まれ、輸送船として活用されました。
戦闘において、両軍合わせて10隻の艦艇と100機以上の航空機を損失しています。
戦闘被害の状況から、現代戦における艦艇および航空機などの統合運用や、艦艇・航空機搭載の装備の脆弱性についての教訓が得られました。
また、制空権(航空優勢)や海上優勢といった戦闘における鉄則が再確認されたことも教訓の一つです。
わが国の自衛隊もフォークランド紛争の教訓を活かし、事後の防衛装備や脆弱性対策等の予算要求に反映させています。
まとめ
◆デタントに伴う核軍縮で、日本への核兵器による脅威が減少した。
◆フォークランド紛争にて西側諸国同士が衝突した場合の戦訓が確認された。
参考サイト
◆防衛白書とは?(1)防衛白書の歴史
◆防衛白書とは?(2)作成の方針
◆防衛白書とは?(3)防衛白書と防衛大綱
◆防衛白書とは?(4)防衛力強化の取り組み
◆防衛白書とは?(5)シビリアン・コントロール
◆防衛白書とは?(6)新階級「曹長」と予備自衛官
◆防衛白書とは?(7)日米協力と機密情報保護
◆防衛白書とは?(8)防衛予算の金額と防衛記念章の規定