「治水」とは、「水防」を語るうえで非常に重要になってくるキーワードです。
これは、河川に対して適切な工事を行い、それによって洪水などの水害が起きるリスクを軽減するという意味を持つ単語です。
四方を海に囲まれた日本においては、この治水という考え方が昔からありました。
水害による被害を少なくしようと戦ってきた先人たちの試みは、そのまま、治水の歴史になっています。
治水の歴史の始まり
「治水の歴史の始まりはいつか」ということを遡ってみれば、戦国時代に行きつくと言われています。
1586年に木曽川からの水害を防ぐために、堤(御囲堤)が建設されたのです。47キロメートルに及ぶ大規模なこの治水工事は、今でもその名前を遺す豊臣秀吉によって行われたものでした。
また、これも名将として知られている武田信玄が造設した「信玄堤」も歴史にその名前を遺しています。
もちろん、この前からも小規模な治水は行われていたと考えるべきでしょう。また、実際にはこの治水工事は十分ではなく、大きな被害をこうむった地域もありました。
しかしそれでも、このような大規模な治水工事が今から400年以上も前に行われたことは、特筆に値します。
近代の治水工事
このようにして行われてきた治水工事ですが、それが現代のような考え方の元で行われ始めたのは明治時代以降だと言われています。
「文明開化」と呼ばれた明治時代には、西欧諸国から数多くの技術が流れ込んできました。そのなかの一つとして、治水工事がありました。
西欧文化による近代化は、治水にも大きな影響を与えたのです。水量をコントロールすることのできるダムの建設が各地で行われるようになりました。
この「治水工事の近代化」は、日本の水害の歴史にとって大きな転換期となりました。
洪水による被害が大きく減り、頻度も少なくなったのです。これによって、水害で奪われる命・被害を受ける人・失われる金銭や財物が大きく減りました。
現在も、よりよい治水工事に対しての研究は日々進歩していっています。
私たちの先祖が苦しみ、そしてそのなかで築き上げられてきた治水のための技術や知識というのは、400年という時を越えて、今の私たちを守っていてくれるのです。
まとめ
・治水とは洪水などが起こるリスクを下げるために行われる対策(工事)のことを言う
・日本で記録に残るものとしては、豊臣秀吉や武田信玄が実施したものがある
・明治時代以降は、治水工事も西欧文化の影響を受けるようになった
・これによって、洪水の起こるリスクなどは大きく軽減した