2014年8月20日の広島県土砂災害は夏の暑い時期に起きた災害だった為、土砂の撤去といった復旧作業は難航し、2014年12月25日に広島共立病院旧病棟の避難所が閉鎖されて避難生活が終わりました。
その間、避難していた人々はどの様な生活を送っていたのでしょうか?
警察や消防の果たした役割や自衛隊の活躍を踏まえつつ、避難生活にスポットを当ててみました。
被災者に強いられる避難所生活
突然の災害と整わない避難所
20日午前3時20分に起こった広島県土砂災害は未明に起こった災害という事もあり、被害状況の把握から、避難所の受け入れ態勢の確立といった事が困難な災害でした。
特に困ったのは被災者の身元の確認だったと言われています。
広島県警と広島市消防局では災害の発生直後から住民の安否確認を行っていましたが、遠方に旅行へ行っている家庭や逆に広島へ帰省の為に帰っていた家庭などがあり、確認が困難となりました。
更に消防と警察の当初連携が出来ておらず、情報の共有に時間が掛かったという問題があります。
それでも、夜が明ける前に避難誘導を行い住民の安否確認を全うした警察消防の職員は立派に職務を果たしたと言えます。
被災者は避難所へ移ってから苦労の絶えない日々が続く事になります。
22日18時の時点で避難した被災者の数は2354名に達し、当初11か所の避難所へ避難しましたが収まらず避難所の数が16か所へ増やされました。
しかし、当初開設された避難所のうち9か所は学校を使い避難所とした為、夏の暑さに関わらず冷房施設がなく寝る際も体育館の床に雑魚寝するといった環境で、高齢者といった生活に支援が必要な人々には辛い環境となりました。
他人との敷居が無い環境でストレスが溜まりやすい生活が続き、メンタルケアの資格を持つ精神対話士による支援も行われています。
そんな中、9月に避難所として使われていた梅林小学校の授業を再開させる為に、9月1日に閉鎖されたばかりの広島共立病院の旧病棟へ一部の被災者が移されました。
また、8月28日には公営住宅への入居が始まり、プライベートのある避難先が確保された事で、ひとまず避難所での生活は落ち着いたのです。
自衛隊による生活支援
自衛隊が持つ自己完結能力を発揮
避難所での生活が続く間も、自衛隊は重機も持ち込んで被災地の行方不明者捜索とがれきの除去を行っていましたが、24日10時30分広島県知事より被災者の入浴支援要請があり第13後方支援隊が派遣されて三入小学校に対して、26日からは梅林小学校に居る被災者に対して風呂を用意する事になりました。
被災者にとっては数日ぶりの入浴となり多くの人から感謝された入浴支援は、三入小学校へは9月2日まで梅林小学校へは9月11日まで行われました。
そして、この入浴支援には心温まるエピソードがあります。
三入小学校で入浴支援を行っていた隊員が小学校の低学年らしき女の子からアニメ妖怪ウォッチのキャラクターシールで封がされた封筒を渡されたという。
中を開けてみると、女の子からのお礼と早く被災者を助けて欲しいという願いが掛かれた手紙と敬礼する子供のイラストが描かれた便箋が入っていたといいます。
その手紙は隊員達の間でお守りとされ大切にされているとの事です。
私も一度この自衛隊が展開する野外入浴セットという物に入った事がありますが、細い鉄パイプでビニール製の浴槽を作り、玉ねぎを半分に切った様な貯水タンクから水をボイラーに送って浴槽へ注ぎ込むという構造になっています。
浴槽はかなり深く、初めて入る時は驚くかもしれません。
本来は有事の時に隊員が疲れを癒す為に用意された日本独特の装備品ですが、災害の時に役に立つ装備の代表となっています。
どんな場所でも自己完結を目指す自衛隊ならではの、活躍ですね。
まとめ
・避難所の厳しい環境が被災者の負担となった
・避難生活もプライベートの確保出来る病院や公営住宅への移住でひと段落ついた
・自衛隊は入浴支援を実施して多くの被災者へ癒しを提供した
参考サイト
◆特定非営利活動法人 土砂災害防止広報センター
◆NHKそなえる防災 第9回2014.8.20広島土砂災害から学ぶ
◆土砂災害ポータルひろしま
◆広島県防災web 過去の災害について
◆広島市 土砂災害防止法について