災害が発生したら被災者を助ける為の救助活動は必須です。
しかし自分自身が災害に巻き込まれた時、周囲の被災者を助けられるかというと非常に難しい事でしょう。
今回は35年前に「ホテルニュージャパン火災事件」翌日という消防が対応困難な時に起こった「羽田沖・日航機逆噴射墜落事故」から災害時の避難行動を考えて災害時の心構えを学んでいきたいと思います。
墜落事故の経緯
機長の心身喪失
日航機逆噴射墜落事故(日本航空350便墜落事故)は1982年2月9日午前8時44分頃、福岡空港から飛来した日本航空350便が東京の羽田空港へ着陸態勢に入ったところ、機長が錯乱状態に陥りエンジンの出力を下げると共に、逆噴射装置というジェットエンジンの噴射方向を反転させてブレーキに用いる装置を作動させ、急激に失速。
更に操縦桿(そうじゅうかん)を前に押して機首を前に傾かせた為、副操縦士と航空機関士が機長を制止してエンジン出力の回復と機首上げ操作を行うも間に合わず、羽田空港沖の海面へと墜落しました。
これにより乗客24名が亡くなり、乗客乗員合わせて95名が重傷、54名が軽傷という悲劇を招きました。
DC-8という旅客機が初期のジェット旅客機であり、独自の設計思想により制作されていたため、「飛行中における逆噴射が可能」であったという問題もありますが、機長が「統合失調症」に該当する診断を受けており、行きの羽田空港から福岡空港までの過程でも機体を異常に傾かせて高度を落とすなどの行動を行っており、パイロットとして乗務できない状態を放置していたという問題もありました。
この事件を契機として、パイロットのメンタルチェックが徹底されるようになりました。
避難行動
避難時は冷静に
墜落現場は浅瀬であった事もあり、旅客機は胴体を2つに分断されながらも完全に水没はしませんでした。
また、亡くなられた方は胴体が分断され重なり合った部分の乗客に集中しており、他の負傷者も墜落事故としては比較的ケガの度合いが軽かった事から、副操縦士らの操作により墜落時の衝撃はかなり軽減されていたと考えられます。
それでも、海中に投げ出された方や重傷を負って動けなくなった方への救助活動は必須でした。
墜落後は精神が錯乱している機長と意識不明の重体となった航空機関士は参加出来ませんでしたが、重傷の副操縦士と客室乗務員らが避難誘導と救助活動に当たっています。
海への墜落となった事で火災が起こらなかった事も不幸中の幸いでした。
乗客も冷静に副操縦士らの指示を聞いて避難した事も良い点ですが、残念ながら燃料が漏れている可能性がある中で喫煙しようとした方や荷物を持って脱出した方など、「危機感が足りない」と考えられる人も居た事が運輸安全委員会の報告書に記載されています。
一方、乗務員たちは定期的に救難訓練を受けており、日頃の訓練の成果が表れました。
前日に「ホテルニュージャパン火災事件」が東京都内で起こり、東京消防庁は立て続けの対応を迫られましたが、警視庁と共に救助活動にて活躍しました。
救助活動には海上保安庁や防衛庁(当時)、周囲の消防局や地元漁業組合などが参加し、日本赤十字社と蒲田・大森医師会などの医師も参加しました。
この時の教訓として、「相互の連絡調整がうまくいかなかった」という問題があり、今も災害時の関係機関で行う「連絡と連携」は課題として残り続けています。
災害時の避難行動で最も重要なのは、落ち着いて安全な場所へ避難出来るかどうかです。
避難誘導を行った副操縦士らと同じ様に、「冷静に避難した」乗客・乗員たちの心構えを見習っていきたいものです。
まとめ
・日航機逆噴射墜落事故は機長の統合失調症による心身喪失が原因で引き起こされた
・避難時、訓練された乗務員の誘導と、冷静に従う乗客の行動が救助活動時に大切となる