24年前、平成7年1月17日に阪神淡路大震災が起こりました。
当時の状況

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不思議な縁で筆者は、防仁学を運営している貴凛庁株式会社が所在し、KIBOTCHAがある東松島市(旧桃生郡矢本町)にある航空自衛隊松島基地で勤務をしていました。
発災時、何か起きた事は認識出来たものの当時は情報量が少なく、実態の把握までは多くの時間を要しました。
また当時の自衛隊は、法の枠組みで縛られていて、自ら行動できない状態でした。
防仁学記事参照
◆1995年1月17日に生起した阪神淡路大震災から学ぶ生存する為の教訓
それらの教訓から、自衛隊の災害派遣の枠組みも、より実情に沿った形で行う事が出来るようになりました。
東日本大震災の時は教訓が活かされて、発災直後に発進命令を下す事が出来ました。
その後は大きな余震が起こる度に部下を呼び集めて偵察飛行を命じておりました。
この時に感じた事は「何で勤務時間外や休日に限って部下を呼び集めなければならないのだろう」という事でした。
しかし考えてみれば、1日の勤務時間は8時間であり、1週間の勤務日は5日となっています。結局は、勤務時間外やお休みの時に災害が発生する確率が高くなるのです。
貴方ならどうしますか?
休みの日、そして勤務時間外に突然大津波警報が流れたら貴方はどうされますか?
日中の活動時間であれば概ね冷静に判断できるかも知れません
しかし、深夜・布団に入っている時間帯に災害が起こった場合、適切な行動を取る事が出来るのでしょうか。
防仁学記事参照
◆なぜ逃げられないのか? 災害心理「正常化の偏見」とは
東日本大震災の後、甚大な被害を受けた釜石市の教訓集「未来の命を守るために」の中に
「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて下さい」とのメッセージが書かれています。その日が来るたびに私達は思い出します。しかし忘れてはならない事は、悲惨な出来事ではなく、尊い命の代償として得られた教訓なのです。やがて来るその日のためにも。