第70回国連総会本会議(平成27年12月22日)で11月5日を「世界津波の日」として制定されました。
2000年代に入り、新潟中越沖地震に東日本大震災そして熊本地震とマグニチュード7クラスの大地震が立て続けに起こっています。特に東日本大震災では15,467名という多くの人命が失われました。
しかし、自衛隊の災害派遣といった国や自治体が行う公助という災害に対する取り組みは人命救助に関する規則の改正といった法整備を中心に進んでいっています。
そのきっかけとなったのは、平成という元号になってからはじめて起こった大規模災害である阪神淡路大震災の教訓があったからです。
阪神淡路大震災は被災した時に生存する為にどの様な教訓を残したのか、その詳細を調べてみました。
犠牲者の多くは圧死
家屋の倒壊被害と地震

KPG_Payless / Shutterstock.com
東日本大震災では亡くなられた15,467名中の92.4%が津波に巻き込まれた結果溺死された方ですが、阪神淡路大震災では6,434名中83.3%の方が建物の倒壊に伴う圧死でした。
しかも、犠牲者全体の90%以上は震災発生日の午前6時が死亡推定時刻とされており、午前5時46分に発生した阪神淡路大震災ではほとんどが即死だったと考えられています。
被害が大きくなった理由としては、1981年に前年の宮城県沖地震の教訓から改正された建築基準法(新耐震基準とも)で建てられる以前の古い建物が多くあり、年配者やお金のない学生が多く暮らしていた事があります。
その為、他の震災よりも20代の若者が多く亡くなっているのも特徴です。
特に、木造建築では建物がバラバラになって倒壊してしまい、生存空間と呼ばれるがれきに人が入れるくらいの隙間が無かった為、生存率に大きく響いています。
早朝に地震が起きた事もあり、寝ている人が逃げる間もなくがれきに潰されてしまい被害が大きくなったと考えられます。
迅速な救出の大切さ
被災から生存までの分かれ目

陸上自衛隊HPより
阪神淡路大震災では、自衛隊への災害派遣要請の遅れや、交通渋滞による警察・消防といった救助到着が遅れた事が指摘されました。
遅れた背景には、自衛隊創設以来、勝手に行動出来ない様に「災害派遣」に関しても様々な縛りがあったからです。
神戸消防局と自衛隊による救助活動による被災者の生存率は、初日こそ75%でしたが、三日目には15%まで落ち込んでしまいました。
これは被災者が助かるまでの時間的目安は「72時間」とされる理由の一つで、がれきの中に取り残された人が飲食せずに生き延びられる限界と言われています。
阪神淡路大震災では、がれきの中に取り残されたまま亡くなられた方も多く、更に火災が発生により12.8%の人が焼死しており、救助が間に合っていれば助けられたと言われています。
阪神淡路大震災は大都市で発生した、震災として多くの教訓を残してくれた災害です。
その教訓を忘れる事なく、これから起こると言われる首都直下や東海・東南海トラフ沖地震といった大震災に備えていきましょう。
まとめ
・阪神淡路大震災では多くの方ががれきに埋まって圧死した
・被災してから救助されるまでの目安となる時間は「72時間」である