毎年9月1日は「防災の日」です。
今から94年前の1923年9月1日に起きた「関東大震災」を教訓として、害への備えを怠らないように1960年に制定されました。
その後、1982年には「防災週間」(1日を含む1週間)が制定されました。
毎年この時期には、全国で開催される関連行事や啓発活動などを通じ、過去に発生したさまざまな災害の教訓を再認識して防災意識を高める機会としています。
そこで今回は、あらためて「関東大震災」に焦点を絞り、災害の特性や教訓を再確認するためその要点をまとめてみました。
関東大震災の概要
江戸時代以降、日本が体験した最初の大災害
関東大震災は1923年(大正12年)9月1日(土)11:58に神奈川県西部(松田付近)の深さ約25㎞地点を震源地として発生したマグニチュード7.9という規模の地震です。
この地震で揺れた範囲は、神奈川県中西部~千葉県南部に及び、地震によって出来た震源断層の長さ約130㎞に達し、3.5mも地形が滑りました。
地震の形式は海溝型地震(プレート境界地震)と呼ばれるもので、フィリピン海プレートが相模トラフへ潜り込む境界で、フィリピン海プレートが潜り込む力に相模トラフが耐えきれなくなって元の位置へ戻る事で発生しました。
この地震による被害は、死者・行方不明:約10万5千人に達し、原因別の犠牲者数は、[火災]約9万1千人、[家屋倒壊]約1万1千人、[土砂災害]約700人、[津波]約300人となります。
関東大震災の特性
「複合災害」により被害が広範囲であった。
関東大震災の特徴として地震・台風・火災・土砂災害・津波による複合災害となった事があげられ、被災地域は首都圏の人口密集地から海岸沿いや山間部にも及びました。
特に火災被害が突出して大きかった事が注目され、日本海(能登半島付近)に中心があった台風の影響で被災地には強風(10?/秒)が吹き、地震直後に発生した火災が広範囲に延焼する原因となりました。
被災地ではいち早く安全な場所へ逃げようとする人々の家財道具などを積んだ大八車や荷馬車が道路、広場、橋にあふれて消防隊の動きを阻み、それらの荷物に引火して更に被害が拡大する事となったのです。
この時、火災の発端となったのは大学等に保管されていた発火性を持つ薬品が落下した事で可燃物に火が点き燃え上がったのが原因というのが最近の研究で明らかになりつつあります。
ただ、昼時という事で一般家庭での火元も火災の原因となっており、地震の時に火元を確認する事がどれだけ大切なのかを感じさせます。
薬品火災は全体の17%で家庭や飲食店の竈(かまど)からの出火は39%というデータが内閣府の災害教訓の継承に関する専門調査会報告書で出されています。
関東大震災の教訓
火事の予防と避難時の注意点
関東大震災の火災は延焼によって燃え広がり、火災旋風という炎の竜巻を作るほどにまで発達しました。
結果として全体の犠牲者中90%が火事による亡くなっていますが、関東大震災から導きだされる火災への教訓はどの様なものがあるかをまとめました。
①地震発生時の発火防止
「発火性の薬品は落下防止処置をして保管せよ! 」
特に、学校、研究所、工場などの薬品を保管している施設では震災に備えて可燃物の管理をしっかり行う必要があります。
加えて、民家でも火元の不始末が原因による火災が発生しているので、避難の際には気を付ける必要があります。
②交通路の確保
「避難する時は大八車や荷馬車を使うな!」「家財道具などの大荷物を持ち出すな!」
これは今で言えば「自動車で避難するな!」「余計な荷物を持ち出すな!」と言い換える事が出来るでしょう。
関東大震災だけでなく、阪神淡路大震災でも交通渋滞により救助の到着が遅れる事が問題となりました。
また、自動車は可燃物であるガソリンで動く物ですから、火災の延焼を招く可能性もあります。
持ち出す荷物は背負える範囲に留めて、最寄りの避難所まで避難するようにしましょう。
関東大震災直後に作成された専門家による調査報告書『震災予防調査会報告』の中では、発火と延焼の原因に関して特に次の2点が指摘されています。
①「最大の発火原因は薬品の落下によるもの。特に学校からの出火が最多であった。」
②「延焼を促した最大原因は避難者の携行する荷物であった。」「荷物と火災について、その対策がたびたび発生した大火の経験から大八車での移動を禁止していた江戸時代のそれより劣り、江戸時代の教訓が全く生かされていなかった。」
この分析内容は今でも通用する処があります。
日頃から震災に備えた対策を行う事と避難する時のルールを守る事が、火災による被害を最小限にとどめる事に繋がるのです。
まとめ
・火災予防のため電気・ガス元栓等の発災後の処置と発火性物の落下防止処置保管が重要
・交通路確保のため最小限の携行品で、車は使わず、素早く避難