2016年7月21日、熊本地震で辛うじて崩れずに済んだ飯田丸五階櫓の補強工事が始まりました。東日本大震災で津波に耐えた奇跡の一本松に続いて、奇跡の一本石垣に支えられて残ったこの櫓は熊本地震における一つの象徴となりました。
立て続けに地震が続き、豪雨も来たため土砂災害も起こったこの地震での被害者は7月19日の段階で81人に及び、その中には長く続く避難生活でストレスを感じたり狭い環境での生活によるエコノミー症候群で亡くなられた方もいます。
辛い環境の中で、避難者の生活を支えた組織の一つに自衛隊があります。
東日本大震災に続き、再び統合任務部隊(JTF)が編制されたこの震災にて自衛隊がどの様な活動をしたのか調べてみました。
災害派遣の時系列は?
2016年4月14日に発生した熊本地震。14日のマグニチュード6.5相当の余震発生から1時間14分後の22時40分には熊本県知事より陸上自衛隊第8師団に対して災害派遣が要請されました。
これを受けて自衛隊は直ちに航空自衛隊及び海上自衛隊の航空機による航空偵察及び、陸上自衛隊による人命救助の為の災害派遣を開始しました。
16日にはより大きなマグニチュード7.3相当の本震が午前1時25分に起こり、発生より1時間11分後の午前2時36分には大分県知事より陸上自衛隊西部方面特科隊へ災害派遣要請が行われました。
この段階で大規模災害派遣が必要と判断され、合計約26000人に及ぶ部隊の派遣が行われ、東日本大震災から二回目となる即応予備自衛官の派遣も300名という規模で行われました。
彼らは4月28日午前10時28分に出された大分県知事からの災害派遣撤収要請及び、5月10日に出された災害派遣の終結に関する命令によって統合任務部隊の解散と即応予備自衛官の招集が終わりました。
しかし、熊本の被災状況は依然として悪く、西部方面隊所属の部隊は継続して派遣され、5月30日午前9時に熊本県知事より出された撤収要請により自衛隊の派遣は終わりました。
自衛隊の活動と実績は?
では、その間自衛隊はどの様な活動をしていたのでしょうか?
防衛省は以下の二つの区分で自衛隊の活動をまとめています。
人命救助
災害初期に真っ先に始まった活動で、人命救助及び行方不明者の捜索で、16名の命を救いました。
また、患者輸送として病人やけが人約510名が病院へ運ばれています。加えて被災地の危険な場所、例えば地震と雨で崩れかかっている崖の下に住んでいる方などの避難場所への輸送も行い、約730名が運ばれました。
意外なところでは、道路のがれき撤去も人命救助に含まれ、約16kmの道を開いて避難経路の確保に一躍かっています。
生活支援
避難所では水の入手も困難で、人々のストレスが募るといった問題が起こりました。
その状態を少しでも改善する為に、自衛隊は様々な支援を行っています。
例えば、物資支援として毛布約4万枚、飲料水を約100万本、日用品約5万箱、食料品約175万食を被災地227か所へ送り届けています。
それに加えて、49か所で約91万食の給食支援を行い、暖かいご飯を提供し、147か所で約1万トンの水を給水しています。
食事は生きる事と密接に関わる事ですから、絶対に必要な支援でした。
これに加えて、被災地から特に喜ばれたと聞くのは入浴支援で、陸上自衛隊の野外浴場セット及び海上自衛隊の艦艇にある風呂を用いて25か所で支援が行われ、累計約14万人の人たちが入浴出来ました。被災地では、水が貴重品の為入浴を行う方法がなく、プライバシーも少ない避難所での生活で溜まったストレスを和らげる貴重な機会になった様です。
同じようにストレスを和らげる内容としてエコノミークラス症候群対策として約20張のテントを張った他、宿泊目的で5か所に約30張のテントを設置しました。
他に、民間船舶の「はくほう」という船を防衛省が借り上げ、一人1泊2日の制約はありましたが、約2,600名に食事と入浴を提供しています。
これら避難生活のストレスに対する支援は、避難生活が長引いた熊本震災では大きな力となりました。
更に医療支援として9か所で約2,300名の患者を診察しました。
自衛隊の支援は、災害発生時の人命救助に注目されやすいですが、本当に自衛隊の能力を発揮するのは避難生活の支援といったインフラが整わない中での支援で、これはどんな環境でも自立して活動が出来る自衛隊だからこそ出来る災害派遣活動になります。
今も熊本地震の被害は続いていますが、自衛隊が活動は今を生きる被災者の方々へ生活する活力を提供した事でしょう。
まとめ
・自衛隊は熊本地震の発生から46日間、自衛隊の西部方面隊が中心となり活動を行った
・自衛隊は他の機関と異なりインフラの整わない中でも被災者の生活を支援し続けた