事件の起こった昭和51年は、まだ日本が属する西側陣営のアメリカと、共産主義国による東側陣営のソ連が激しく対立している「冷戦時代」でした。
その情勢に一擲を投じたのが、ソ連防空軍のヴィクトル・イヴァ―ノヴィチ・ベレンコ(Виктор Иванович Беленко)中尉による戦闘機ミグ25を用いた亡命事件です。
翌年の防衛白書にも記載され、日本の防衛体制を揺るがした「ミグ25事件」を詳しく調べてみました。
ミグ25事件の概要
昭和51年9月6日、ソ連の最新鋭ジェット戦闘機であるMiG-25P(ミグ25)防空戦闘機が突如として日本の領空を侵犯し、函館空港に強行着陸しました。
前述の通り、ソ連防空軍パイロットのベレンコ中尉がアメリカに亡命するために単独で飛来したのです。
亡命理由については諸説ありますが、待遇が悪かったことと妻との不和が原因であったとされています。
その後、防衛庁は領空侵犯・強行着陸の背景状況解明のため機体を調査し、11月14日ソ連側に引き渡しました。
事件の経過

MiG-25(当時の写真)画像:Wikipediaより
この事件に関して時系列を追ってみてみると、どの様な問題が発生していたのか分かりやすくなります。
・全体の流れ
9月6日
午後1時22分、ミグ25は小樽の沖合上空で領空侵犯し、1時50分頃に函館空港へ強硬着陸。
パイロットのベレンコ中尉は米国への亡命と身体の保護を申し出た。
機体はオーバーランし前輪がパンクしていて、燃料は限界に近く減っていたと言われている。
9月9日
米国への亡命が認められたベレンコ中尉は出国、最新鋭機のためソ連が機体を取り返しに来る等の噂があり陸海空自衛隊は警戒態勢に入った。
9月10日
ミグ25の機体が法務省から防衛庁に移管された。
9月25日
ミグ25の調査のため、機体を解体し米空軍の大型輸送機により空自百里基地へ移送。
11月14日
調査終了後、解体・梱包し、日立港にてソ連側に機体を引き渡す。
これが全体の大まかな時系列になります。
自衛隊が直接関われたのは最初の要撃を行った時と、法務省から機体の管轄を移されてからだった事が分かります。
防衛庁のとった措置
この期間の間に防衛庁が取った処置は時系列別にすると、以下のような内容でした。
9月6日
午後1時11分に空自奥尻レーダーサイトが識別不明機を発見し、1時20分スクランブル発進。
無線と要撃したスクランブル機により領空侵犯を警告するも、1時35分以降スクランブル機及びレーダーサイトは、気象条件・低空飛行等により着陸までミグ25を追尾できず、強行着陸された。
10月3日
ミグ25の機体は百里基地に移送された後、機体・エンジン・各種搭載電子機器等に関し、レーダー網や要撃機に補足されずに低高度で領空に侵入してきた事情を調査した。
11月14日
ソ連側技術者の機体の点検確認を得て正式にソ連側に引き渡された。
偶発的な事件であったが、わが国の安全を侵害する事実があったか否かを解明するために所要の調査を行い、その後機体を返還したことは、国際法にも、国際慣習にも合致する主権国家として当然の措置であった。
以上は防衛庁が行った公式な処置の流れです。
当時は最新性のソ連戦闘機を直接確認できる機会がほとんどなかったので、貴重な調査になりました。
正当な手続きを踏まずに領空侵犯を行った航空機に関して、国際的な慣習では機体の調査が認められており、フォークランド紛争でブラジルに緊急着陸して武装を没収されたイギリスのアブロ・ヴァルカン爆撃機や、中国軍機と接触して中国の海南島に緊急着陸して機内調査されたアメリカのEP-3E電子偵察機の事例などがあります。
事件の教訓

ベレンコ中尉のパスポート 画像:Wikipediaより
パイロット個人の亡命要求による事件だったので直接的な被害は出なかったものの、防衛庁は貴重な教訓を得ました。
防空上の脆弱性が明確になり、以後の防衛装備計画に生かされることになったのです。
具体的には、
- 早期警戒監視機能の欠落・・・早期警戒機(AEW機)の導入
- 要撃機自体の低空捜索能力の不足・・・機上レーダーの改良
- 領空侵犯機に対する措置・・有事緊急対処要領の策定
といった装備品の整備が行われ、領空侵犯を行おうとする不審機に対する対処能力が向上するきっかけとなりました。
法整備の必要性
ミグ25事件では空自の防空体制以外にも是正すべき問題が判明しました。
ミグ25の機体の奪還または破壊のため、ソ連軍特殊部隊が函館に侵入するとの情報があり、行動命令なく陸上自衛隊が臨戦態勢で対応しました。
この時の対処を契機に、有事法制の必要性や陸海空統一の中央指揮所の所要が検討されるようになったのです。
まとめ
- ベレンコ中尉は日本の防空体制の隙間を縫って領空侵犯・強行着陸を行い、成功した。
- 防衛庁は防空能力の不足を痛感した。
- 陸自部隊が勝手に行動してしまった事もあり、有事法制の作成や中央指揮所の必要性が認識された。
参考サイト
参考文献
- 「ミグ25事件の真相―闇に葬られた防衛出動」大小田八尋(学研M文庫)