2016年で第二次世界大戦の終戦から71年が経過します。
しかし、世界ではまだ北朝鮮の核開発・核実験や中東でのISIL(イスラム系過激派組織)によるテロ活動といった危険が続いています。
つい先日、8月3日には北朝鮮から秋田県男鹿半島沖250kmの海上にミサイルが着弾し、改めて危険な状態が続いていることが分かりました。
そこで、終戦特集として第二次世界大戦及びその前に行われた第一次世界大戦から今の時代に通じる教訓になる情報を詳しく調べていこうと思います。
初回は本日8月6日に広島、8月9日には長崎へ投下された「原子爆弾(原爆)」の誕生経緯を調べ、今日の北朝鮮の核開発問題などにつながる核兵器の拡散について調べてみました。
放射性物質の発見と核分裂理論
キュリー夫妻・ラザフォード博士
1889年フランスの物理学者ピエール・キュリー夫妻によって初めて放射性物質が発見されました。
その物質は「ラジウム」と名付けられ、物質の中に膨大なエネルギーを持っている事がわかります。
キュリー夫妻はこの新しい物質とエネルギーを新たな治療法などに使うために、世界中に無償で情報を供与していました。
これが現在でも行われている放射線治療につながっていきます。
そして1911年には「原子物理学の父」ことイギリスのラザフォード博士が原子核を発見しました。
同じ年には原子を分割する事により、特定の元素を別の元素へ変換するという実験が行われています。
キュリー夫妻・ラザフォード博士はノーベル賞を受賞しています。
まだこの時点では放射能や核分裂は新たなエネルギー資源として考えられており、原子爆弾・核兵器についてのアイデアは無かったとされています。
マンハッタン計画と二種類の原子爆弾
ナチスを警戒したアメリカによる研究開発
1933年ハンガリー出身のユダヤ人科学者レオ・シラードは中性子を用いた連鎖反応というアイデアを考え、原子爆弾の理論を考えだします。
これは、中性子が原子核にぶつかる事で、連鎖的に新しいエネルギーを放出し続けていくという考え方で、これが原子爆弾・核兵器の基礎的な考えを作ったと言われます。
この6年後、第二次世界大戦が始まる1939年にはナチスドイツのユダヤ人迫害から逃れるためにレオ・シラードはアメリカに亡命しました。
レオ・シラードは先に亡命していた著名なユダヤ人科学者アルベルト・アインシュタインの力を借りて、時の大統領であるフランクリン・ルーズベルトに信書を送りました。
この信書ではナチスドイツが核兵器を軍事目的に使う可能性を指摘していて、政府に核研究を行う体制を作る事を求めていました。
皮肉にも、ナチスドイツはユダヤ人を迫害したことによって、ユダヤ人科学者の考えついた「核兵器」を手にすることはありませんでした。
しかしながら、ナチスドイツを恐れたアメリカによって核兵器はついに開発を本格的に開始してしまったのです。
後年、アインシュタインはこの信書に署名した事を強く後悔しています。
そして、この信書を受けて調査を行ったアメリカ政府は1941年10月に原子爆弾の開発は可能と結論を出し、1942年10月には核兵器開発プロジェクトがルーズベルト大統領により承認されました。
これが「マンハッタン計画」です。
このマンハッタン計画により、1945年7月16日にアメリカ合衆国ニューメキシコ州にあるホワイトサンズ射爆場にて人類史上初の核実験である「トリニティ実験」が行われました。
この時、数週間後に広島と長崎に落とされる事となる原子爆弾「リトルボーイ」と「ファットマン」は作成途中で、この実験では「ガジェット」という実験用爆弾が用いられました。
この「ガジェット」はインプロージョン方式という構造を持った原子爆弾で、中心にあるプルトニウムを周囲から爆薬の爆発で圧縮する事で、核分裂を引き起こし爆発するというものでした。
これは長崎に投下されたファットマンと同じ方式で、代表的な原子爆弾の構造になります。
現在、北朝鮮の保有する核兵器もインプロージョン方式と言われています。
広島に投下されたリトルボーイに用いられたのはガンバレル方式と言われるものです。
これはウラン同士を爆薬の爆発でぶつける事により核分裂を引き起こす方法で、エネルギー効率がインプロージョン方式と比較して悪いものの、構造が非常に簡単というメリットがありました。
その為、複雑な構造に出来ない小型の核兵器に使われていたものの、エネルギー効率の悪さから次第に使われなくなっていきます。
「マンハッタン計画」によって生み出された原子爆弾は、最初の実験から1カ月も経過しないうちに実際に使われることになってしまいました。
この時点では、原爆・核兵器が爆発後に放射能による影響が長く残ることもよく分かっていませんでした。
戦局は終盤に差し掛かっており、方式の違う2種類の原爆投下には実験的な側面があったと言われる理由はここにあります。
広島では約14万人、長崎では約7.4万人もの方々が原爆で命を落としました。
アメリカによる核兵器実験の4年後にはソ連(現在のロシア)でも核兵器開発に成功し、核実験が行われています。
ソ連のスパイがアメリカから盗み出した情報により、この核実験は成功したといわれています。
さらにイギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・北朝鮮が次々と核実験を行い、現在では世界で行われた核実験の回数は合計2,000回を突破しています。
ただ、実際に兵器として使われたのは広島・長崎の2回のみです。
こうした経緯や実験を経て原子爆弾・核兵器は誕生し、世界に拡散してしまいました。
次回は、核兵器の具体的な威力について調べていきます。
【まとめ】
- まもなく20世紀に入る間際にキュリー夫妻により核兵器の原料になる放射性物質は見つかった。
- 当初の放射能・核分裂研究は兵器開発が目的ではなかった。
- 原子爆弾・核兵器はナチスドイツより亡命したアインシュタインらユダヤ人科学者の提言によりアメリカで開発された。
- 最初の核実験からわずか20日ほどで、広島・長崎に原爆は投下されてしまった。