皆さんは「津波てんでんこ」「命てんでんこ」という言葉を聞いた事はありますか?
「てんでんこ」とは、東北・三陸地方の方言で「各々」とか「それぞれ」という意味です。
「津波てんでんこ」や「命てんでんこ」を直訳すると「津波はそれぞれ」「命は各々」ですが、「津波が来る時は一刻を争う非常事態であり、命を守るためにそれぞれ逃げなさい」ということを意味しています。
つまり、もし家族と離れている時に地震・津波が来ても、心配して探し回ったりして逃げ遅れる事無く「それぞれ」がしっかり避難し、家族を互いに信頼し合い自分の命を守るためにまず逃げなさいという教訓です。
東日本大震災では多くの方が亡くなられましたが、その中で「釜石の奇跡」と言われるように、釜石市の小中学生の99.8%が生き延びる事ができました。
当日学校に登校していた生徒全員が生存したことが「奇跡」として話題になりました。
しかし、これは決して偶然が生み出した『奇跡』ではありませんでした。
群馬大学大学院・片田敏孝教授と釜石市が小中学生に対する防災教育に「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を合言葉にして取り組んできた成果の一つであると言えます。
「万里の長城」と言われた巨大防潮堤よりも人命を救った防災教育、今回はこの「てんでんこ」の考え方・防災の在り方について考えてみます。
天災は忘れた頃に
防災教育は形式的では×
過去に何度となく津波被害に遭っている場所でも、しばらく大きな津波が来ないとその教訓は風化していくものです。
「百年兵を養うは一日これを用いんがため」とあるように、何事も起こらなければ防災対策は「無用の長物」と思われがちです。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
「天災は忘れた頃にやって来る」
津波警報が鳴っても数センチから数十センチが続けば「またか!」「今度も大した事無いだろう」「前と同じ様に大丈夫だろう」という気持ちになってしまうのかも知れません。
事実、先日宮城県や福島県に津波警報が発令された際には、早くも警報を無視する行動をとる人がいたために問題視する声があがっていました。
百年程度の周期で大津波が来る三陸沿岸地方には「ここより下に家を建てるな」と記された碑が幾つか残っていました。
東日本大震災の時には、石碑よりも下に建てられた家の多数が被害に遭っています。
自分自身を振り返っても、オフィスや家で火災報知器が鳴り出した時、果たして真っ先に避難することが出来るでしょうか?
防災教育は「この様な時は、この様にしなさい」と形式的な事を教え込まれるものではなく、一人一人が理解し意識付けしていく事が必要です。
防災教育とは
防潮堤に頼らない防災意識を
防災とは、まず「命を守る」ものであり、事態発生時において被害を防ぐ・軽減する為に必要なものです。
防災には防潮堤や避難塔の様なハードの面と、防災教育の様なソフト面の両面があり、その両者が有効に作用していく事が重要です。
東日本大震災以降の工事で東北地方沿岸部の景色は様変わりしました。
この様な大規模工事が行われても、それを超える津波が来ないとは誰にも保障出来るものではありません。
ハードで補えない部分、そしてハードに頼り切らない心を教える事が防災教育です。
防災計画の想定
最悪の事態でも対応不可能は許されない
防災計画を考える時にまずは最悪の状況を「想定」し、それに対応した計画を立てていく事が一般的です。
東日本大震災の直後には様々な場所で「想定外」という言葉が聞かれました。
危機管理に携わる者にとっては「想定外」ではあっても「対応不可能」という事は許されません。
日本人は最悪の事態に対する危機管理が出来ていないというよりも、嫌な事は議論を避けたいというような風潮があった事も事実です。
東日本大震災以降は改善の傾向も見られ、静岡県では「第4次地震被害想定」の中で、「発生頻度が比較的高く、発生すれば大きな被害をもたらす地震・津波」を『レベル1の地震・津波』とし、「発生頻度は極めて低いが、発生すれば甚大な被害をもたらす、あらゆる可能性を考慮した最大クラスの地震・津波」を『レベル2の地震・津波』として対処計画の基本としています。
以前は『レベル2』自体が議論されない事を考えれば格段の進歩と言えるでしょうが、今後は温暖化等地球環境の変化によりその想定を超える事態が発生しないとも限りません。
前述の片田敏孝教授は「避難3原則」として
1 想定にとらわれるな
2 最善を尽くせ
3 率先避難者たれ
と教えておられます。
この3原則が、釜石の小中学生の命を救ったのです。
釜石の奇跡
その時自分で判断した事が、最善策である
釜石市における防災教育の中で、先生方は「普段をしっかりしていれば、本番では普段以上の力を出せる」と教えて来たそうです。
生徒たちもその教えに従い学んで来た結果が「釜石の奇跡」です。
生徒たちは先生の指示を待つことなく周りに「逃げろ」と声をかけながら高台を目指して走り始め、結果として登校していた生徒全員の命が助かったそうです。
その時の状況を一番把握出来ているのは自分自身です。
◆揺れが収まった後、親の帰りを待つことなく自ら避難した。
◆既に浸水が始まったため、逃げるよりも弟を連れ、家の中の高所に避難した。
結果はどうあれ、いずれも防災教育を受けた小学生が自ら判断して取った行動であり、両者とも生き延びる事が出来ました。
何も判断しない、何もしない、誰かからの指示を待ち続けるのでは最悪の結果が待っています。
事態発生時には瞬時の判断と行動が生死を分けるものとなります。
瞬時の判断をより正解に近付ける為には、普段からの教育と訓練が必要です。
「てんでんこ」の教え
自らの命を守る意識が、周りの人達を救う
自分の命に自分で責任を持つ事、自分の命に責任を持たせる教育を行う事が重要です。
「津波てんでんこ」「命てんでんこ」の教えは、地震の時には子供は家族の事を気にせず、自分の命を守るため1人でも直ぐに避難することです。
親は今まで教育してきたのだから子供は必ず逃げていると信じて、自らも子供を探し回る事無く避難するというものでもあります。
釜石で行われた防災教育そのものは全国共通のものではありません。
しかし、その理念は同じはずです。
「釜石の奇跡」が津波から助かる奇跡であったように、「自分自身の奇跡」は何なのかを考えなければなりません。
「広島の奇跡」は土砂災害からの防災であり、「常総市の奇跡」は水害からの防災であるように、「自分自身の奇跡」は何であるかを考える事が大切です。
奇跡を奇跡ではなくして『命でんでんこ』自らの命を守り、そしてその行動が周りの人達の命を救う事となるはずです。
まとめ
◆防災は、ハード(防災の為の建築物)とソフト(防災教育)の両立が重要
◆政府、地方自治体の行う防災対策は想定に基づいた対策であり、自然現象はこれを凌駕する事がある